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東洋文庫ミュージアムの企画展「ハワイと南の島々展」を見に出かけた。ハワイは常夏の楽園、人跡未踏の秘境、芳醇な果物、珍しい動植物、優しい笑顔の人々がイメージする島である。南の島々への憧れは尽きない。ハワイと太平洋の島々が育んだ豊かな歴史と文化を「発見」してみた。<br /><br />「東洋文庫」とは、岩崎弥太郎の長男久弥(1865~1955)が1917年(大正6)に、George Arnest Morrison (ジョージ・アーネスト・モリソン) が集めた中国を中心とした旧蔵書をを購入し、モリソン文庫として発足した文庫である。

東洋文庫で「ハワイと南の島々展」を見る

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2018/04/03 - 2018/04/03

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Weiwojing

Weiwojingさん

東洋文庫ミュージアムの企画展「ハワイと南の島々展」を見に出かけた。ハワイは常夏の楽園、人跡未踏の秘境、芳醇な果物、珍しい動植物、優しい笑顔の人々がイメージする島である。南の島々への憧れは尽きない。ハワイと太平洋の島々が育んだ豊かな歴史と文化を「発見」してみた。

「東洋文庫」とは、岩崎弥太郎の長男久弥(1865~1955)が1917年(大正6)に、George Arnest Morrison (ジョージ・アーネスト・モリソン) が集めた中国を中心とした旧蔵書をを購入し、モリソン文庫として発足した文庫である。

旅行の満足度
4.5

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  • JR山手線「駒込駅」から歩いて10分位で東洋文庫に到着した。この建物は本館で、中庭から見た建物全体の写真である。

    JR山手線「駒込駅」から歩いて10分位で東洋文庫に到着した。この建物は本館で、中庭から見た建物全体の写真である。

  • 入口を入ると、こんな風な展示コーナーがあり、今回の展覧会と関連のある資料が展示されている。

    入口を入ると、こんな風な展示コーナーがあり、今回の展覧会と関連のある資料が展示されている。

  • ここにはハワイと太平洋に関する書籍と写真が展示されている。また、ハワイに渡った初期日本人移民の珍しいパスポートも紹介されていた。

    ここにはハワイと太平洋に関する書籍と写真が展示されている。また、ハワイに渡った初期日本人移民の珍しいパスポートも紹介されていた。

  • これまで東洋文庫が出版してきた書物の一部が展示されている。

    これまで東洋文庫が出版してきた書物の一部が展示されている。

  • 文庫に着いたのがお昼近かったので、先ずは昼食を取ることにした。ここにはレストランがあるので、ここで食べた。<br /><br />現在開催されている展覧会に合わせて、ハワイアン・フェアが行われていて、ハワイにちなんだ料理が紹介されている。

    文庫に着いたのがお昼近かったので、先ずは昼食を取ることにした。ここにはレストランがあるので、ここで食べた。

    現在開催されている展覧会に合わせて、ハワイアン・フェアが行われていて、ハワイにちなんだ料理が紹介されている。

  • 小生が選んだのは、「豚ロースのグリル・グアバソース」というもので、スープ、サラダ、パン(またはライス)、豚ロースのグリル、デザートそしてコーヒーである。<br /><br />先ずは、サラダが出てきた。新鮮な野菜がバリバリと歯ごたえがあり、美味しかった。

    小生が選んだのは、「豚ロースのグリル・グアバソース」というもので、スープ、サラダ、パン(またはライス)、豚ロースのグリル、デザートそしてコーヒーである。

    先ずは、サラダが出てきた。新鮮な野菜がバリバリと歯ごたえがあり、美味しかった。

  • これが「豚ロースのグリル」で、ソースがやや甘すぎるような気がするが、肉は柔らかすぎず、また硬すぎず、ちょうどよかった。

    これが「豚ロースのグリル」で、ソースがやや甘すぎるような気がするが、肉は柔らかすぎず、また硬すぎず、ちょうどよかった。

  • 最後に、コーヒーとデザート(写真なし)をとった。1時間程ゆっくり時間をかけて昼食を取り、その後展示を見に移動した。

    最後に、コーヒーとデザート(写真なし)をとった。1時間程ゆっくり時間をかけて昼食を取り、その後展示を見に移動した。

  • レストランから本館に向かう通路の壁面に10数か国の言語を紹介したボードがあった。もちろんアジアの国々の言語である。

    レストランから本館に向かう通路の壁面に10数か国の言語を紹介したボードがあった。もちろんアジアの国々の言語である。

  • 試みに3つの言語を選んでみたが、どこの国の言語かお分かりだろうか。小生には全くわからない。<br /><br />これはもしかしてヴェトナム語かもしれない。

    試みに3つの言語を選んでみたが、どこの国の言語かお分かりだろうか。小生には全くわからない。

    これはもしかしてヴェトナム語かもしれない。

  • 『ハワイの中国人 1789-1989』(アーリ―ン・ラム編、1988年出版、ハワイ刊)<br /><br />左ページの写真には孫文が写っている(2列目中央)。

    『ハワイの中国人 1789-1989』(アーリ―ン・ラム編、1988年出版、ハワイ刊)

    左ページの写真には孫文が写っている(2列目中央)。

  • 珍しい写真を見つけた。ハワイ大国のカラカワァ王が写っている写真である。前列中央の人物がカラカワァ王。<br /><br />『布哇日本人史』(木原 隆吉編著、1935年出版)から。

    珍しい写真を見つけた。ハワイ大国のカラカワァ王が写っている写真である。前列中央の人物がカラカワァ王。

    『布哇日本人史』(木原 隆吉編著、1935年出版)から。

  • 『ハワイの日本人』(1946年発行)(アンドリュー・W・リンド著)<br /><br />1941年日本軍の真珠湾攻撃から45年の終戦までのハワイに住む日系人の歴史を描いた書籍。

    『ハワイの日本人』(1946年発行)(アンドリュー・W・リンド著)

    1941年日本軍の真珠湾攻撃から45年の終戦までのハワイに住む日系人の歴史を描いた書籍。

  • ハワイに渡った日本人移民が用いたパスポートが展示されていた。明治初期のパスポートには写真はまだ使われていない。

    ハワイに渡った日本人移民が用いたパスポートが展示されていた。明治初期のパスポートには写真はまだ使われていない。

  • 明治初期のパスポートには写真はなかったが、このパスポートには写真付きとなっている。1917年5年(大正6)から写真が貼られるようになった。しかし、パスポートは出国してから帰国するまでずっと同じものを使用されていたので、写真は必要に応じて付け替えられていた。

    明治初期のパスポートには写真はなかったが、このパスポートには写真付きとなっている。1917年5年(大正6)から写真が貼られるようになった。しかし、パスポートは出国してから帰国するまでずっと同じものを使用されていたので、写真は必要に応じて付け替えられていた。

  • 東洋文庫はオーストラリア人ジョージ・アーネスト・モリソン / George Arnest Morrison) (1862~1920) が中国に駐在していた時に集めた書籍2万4000冊を岩崎久弥が購入し、発足した文庫である。<br /><br />現在、これらの書籍が一部展示されていて、直に見ることが出来る。貴重な本ばかりで、中には世界中でここだけしかないというものもある。<br />

    東洋文庫はオーストラリア人ジョージ・アーネスト・モリソン / George Arnest Morrison) (1862~1920) が中国に駐在していた時に集めた書籍2万4000冊を岩崎久弥が購入し、発足した文庫である。

    現在、これらの書籍が一部展示されていて、直に見ることが出来る。貴重な本ばかりで、中には世界中でここだけしかないというものもある。

  • これらの書籍はレブリカではない。すべてモリソンが収集した書籍の一部で、このように展示されている。

    これらの書籍はレブリカではない。すべてモリソンが収集した書籍の一部で、このように展示されている。

  • 別な展示会場へ移動する際、このような通路を通らなければならない。ところが、通路の何箇所かは足元がガラス張りになっていて、ガラスのケースには様々なものが展示されている。足元を見ながら、移動するようになっている。

    別な展示会場へ移動する際、このような通路を通らなければならない。ところが、通路の何箇所かは足元がガラス張りになっていて、ガラスのケースには様々なものが展示されている。足元を見ながら、移動するようになっている。

  • 新たな展示会場の一部。ハワイと南太平洋の島々が資料と共に展示されている。

    新たな展示会場の一部。ハワイと南太平洋の島々が資料と共に展示されている。

  • 展示されている資料の一部を紹介したい。<br /><br />大変珍しい書物が展示されていた。これは『和英通韻伊呂波便覧』というもので、1818年尚古堂から出版された和綴じの本である。「土佐 海援隊蔵板」という文字が見えるが、海援隊は坂本龍馬が創設した日本初の海外貿易商社であった。<br /><br />本書は、海援隊の隊員が英語の発音を学ぶために編纂したもので、英単語にそれぞれ日本語の読み方が書かれている。<br /><br />竜馬は1867年に京都で暗殺され、翌年海援隊は土佐藩の命令で解散させられた。しかし、竜馬の意志を受け継いだ第2代隊長の長岡謙吉をはじめとする同志の尽力によって本書が完成した。

    展示されている資料の一部を紹介したい。

    大変珍しい書物が展示されていた。これは『和英通韻伊呂波便覧』というもので、1818年尚古堂から出版された和綴じの本である。「土佐 海援隊蔵板」という文字が見えるが、海援隊は坂本龍馬が創設した日本初の海外貿易商社であった。

    本書は、海援隊の隊員が英語の発音を学ぶために編纂したもので、英単語にそれぞれ日本語の読み方が書かれている。

    竜馬は1867年に京都で暗殺され、翌年海援隊は土佐藩の命令で解散させられた。しかし、竜馬の意志を受け継いだ第2代隊長の長岡謙吉をはじめとする同志の尽力によって本書が完成した。

  • 「アメリカ人先坊戦士」

    「アメリカ人先坊戦士」

  • 『キャプテン・クック航海記図版集』から ①<br /><br />本書は18世紀末にロンドンで刊行された図版図で、クック一行が訪れた太平洋沿岸の風景とそこで目にした動植物、彼らが出会った現地の人々とその習俗が図版約60点が紹介されている。

    『キャプテン・クック航海記図版集』から ①

    本書は18世紀末にロンドンで刊行された図版図で、クック一行が訪れた太平洋沿岸の風景とそこで目にした動植物、彼らが出会った現地の人々とその習俗が図版約60点が紹介されている。

  • 『キャプテン・クック航海記図版集』から ②

    『キャプテン・クック航海記図版集』から ②

  • 『キャプテン・クック航海記図版集』から ③

    『キャプテン・クック航海記図版集』から ③

  • 『ラ・ペルーズ世界周航記』(1798年、パリ刊)①<br /><br />1785年、フランスを代表する大航海家ラ・ペルーズは、大西洋を横断、南米のホーン岬を回り、チリに到達した。翌年、イースター島を経由してハワイ諸島へ向かった。87年に彼の一行は太平洋横断を達成し、朝鮮半島とサハリンを探索した後、南に進路を変え、サモア島に到達した。ところが、同地を離れてすぐ現地住民の襲撃を受け、多くの部下を失った。彼は報復をせず、オーストラリア方面へ向かったが、1789年に消息を絶った。<br /><br />この図版はイースターのアモイ像を描いたものであるが、左側の人物と比べると、その巨大さが分かる。

    『ラ・ペルーズ世界周航記』(1798年、パリ刊)①

    1785年、フランスを代表する大航海家ラ・ペルーズは、大西洋を横断、南米のホーン岬を回り、チリに到達した。翌年、イースター島を経由してハワイ諸島へ向かった。87年に彼の一行は太平洋横断を達成し、朝鮮半島とサハリンを探索した後、南に進路を変え、サモア島に到達した。ところが、同地を離れてすぐ現地住民の襲撃を受け、多くの部下を失った。彼は報復をせず、オーストラリア方面へ向かったが、1789年に消息を絶った。

    この図版はイースターのアモイ像を描いたものであるが、左側の人物と比べると、その巨大さが分かる。

  • 『ラ・ペルーズ世界周航記』(1798年、パリ刊)②<br /><br />ラ・ペルーズの部下たち・ラングルとラマノンの殺害を描いた図版

    『ラ・ペルーズ世界周航記』(1798年、パリ刊)②

    ラ・ペルーズの部下たち・ラングルとラマノンの殺害を描いた図版

  • 『ラ・ペルーズ世界周航記』(1798年、パリ刊)③<br /><br />イースター島のカヌー

    『ラ・ペルーズ世界周航記』(1798年、パリ刊)③

    イースター島のカヌー

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